置村 雅人

オーラマイスター / ヒーラー

creative station mahoroba代表。
1996年1月28日生まれ 福岡県糸島市出身。

三軸修正法施術師の父とピアノの先生の母のもとに生まれる。

母のお腹の中にいる時から父の遠隔治療(元気に生まれてくるための施術)を受け、母の奏でるピアノの音色を聴く。

■凄まじいママっ子な幼稚園時代

父は患者さんの治療、母は離れでピアノを教える。父の治療を受けると体が楽になることがわかっていたので、物心ついた頃にはいつも「パパ治して〜」と言うようになる。

2歳の頃には治療をしている父のそばで治療の真似をするようになり、患者さんを遠隔で治療している父の姿を見ている。その頃、電車が好きすぎて、駅から帰りたくないと大泣きして駅員さんからJR九州の特急が一覧で掲載されている下敷をもらう。

当時は凄まじいママっ子で、制服を着ると幼稚園に連れて行かれると思い、拒否していたところ、幼稚園の入園式に私服連れて行かれ、一人だけ入園式の写真が私服になる。4才の時に弟が生まれ、母を取られたショックでブルーになる。幼稚園で聞いてきた賛美歌を耳コピして家のピアノで弾く。

■家族が病気に悩んだ小学生時代

小学校に入学した頃、父が鬱病になり働けなくなる。小学三年生には、今度は自分が風邪をこじらせマイコプラズマ肺炎にかかり、以降喘息を患い学校に通えない日が増える。

小学六年生の頃、父の患者さんの紹介で台湾の老師に漢方薬を調合してもらう。老師は写真を見ただけで人の症状を判断し薬を調合する人で、人の過去や未来まで見えてしまう人であったが、父の遠隔治療を見慣れているので自然に受け入れる。

家族それぞれに調合された漢方薬を飲むことで、僕は喘息を完治。リュウマチで寝たきりの祖母は見る見るうちに回復し元気に歩き回るようになる。祖父に至っては顔の大きなイボがきれいさっぱり取れる。父の鬱病も徐々に回復し元気になる。

ある日突然茶虎の猫が我が家にやってくる。ご飯をあげていると毎日やってくるようになり、気づけば家族の一員になり、ミーと名付ける。父はミーとの触れ合いによってすっかり元気になる。

父は鬱病をきっかけに三軸修正法以外にXPサイエンスやホツマ文字(古代文字)などを使用してエネルギーの観点から人の体を治す方向にシフトする。小学校の時は足や手のツボにホツマ文字をマジックで書かれて登校する。友達から不思議がられるが「古代文字だよ、知らないの」と答える。

■模試D判定から地元進学校に奇跡の合格を経て中学時代

友達は広くよりも深く狭くのほうがいいと勝手に思い込んでいたので、友人は少な目。フレンドリーに会話することは可能なものの、自分でもよくわからないときに突如人見知りを発症したり、一度目では緊張しないのに二度目に緊張をしてしまうという質の悪い人見知りであった。人からどう思われているかをいつも考えていたので、これっきりだと思うと楽に会話することができるが、会う回数が増えると、自分が嫌われていくのではと漠然と恐れていた。

地元の中学には進学せず、小学校高学年から塾に通い福岡でトップクラスの西南学院中学校高等学校に入学。合格したことに浮かれて自分がD判定での奇跡の合格であることを忘れて一気に落ちぶれる。

中学時代は鉄道模型Nゲージでジオラマを作り夏休みの宿題として提出して評価5(最高点)を受ける。中2のころからGreeが流行りはじめ、撮鉄の友人ができる。中学3年の冬に九州一周の電車旅をする。

■俳優を志しながら鉄道に魅了される高校時代

高校1年生の時、友人から突然演劇部に入らないかと誘われ入部する。幼稚園の頃に見た日本映画『白い船』(しろいふね)に感動し、スクリーンの向こう側に行きたいと思っていたことを思い出す。入部後は、高校の学園祭、高等学校文化連盟などの舞台に立っていた。子供の頃からずっと電車の運転士が夢だったが、俳優になりたいという夢を抱くようになる。

知人の紹介で、東京の演技トレーナーが月に一度福岡でワークショップを開催していると聞きつけ、親に内緒で通うようになる。通いはじめたことは、役者をやることで自分が他人になれる喜びを感じているが、レッスンを通じて自分のエゴイズムを知る。受け取り手がどう感じるのかは受け取り手の自由であることに気がつく。お芝居は歌舞伎のように型を覚えるものだと思っていたが、本当はリアルタイムで生み出すものであり、感情は作るものだと思っていたが、感情は起きるものであると気づく。全て逆算して演じなければいけないことに気づき、それができる役者、そして人間はすごいと感じる。ワークショップを通じて芝居の面白さの本質に気づきさらにのめりこんでいく。芸能界は東京を中心に回っているという話をきき、東京へのあこがれが深まっていく。

一方、高校一年の時にiPhone4が流行り、さらに撮り鉄のネットワークが広がる。高二の冬に寝台特急日本海を撮影しに大阪まで友人と二人でいく。また親に内緒で「塾に行ってくる」と家を出て、大分まで行き「にちりん」という国鉄型の特急を撮りまくる。鉄道の趣味を通じて深い友達ができる。

■売店と警備員のおじちゃんから人生を学ぶ

勉強に楽しさが全く見いだせずに、高校3年まで6年間下から30番以内を取り続ける。価値がないという烙印を押されてしまい、自分は死んでしまった方がいいと思う日々が続く。教員のことをどうやっても好きになれず、売店のおじちゃんや警備員のおじちゃんと親睦を深める。様々な分野で人生経験を積んできたおじちゃんの話を学校の帰りにミスタードーナツで聞く。教員の正義と自分の正義が一致せず、悶々とした高校生活を送る。サボってばかりで遅刻をし続ける日々だったが、いまでもこのことは全く後悔していない。

東京のいい大学に入学して親を安心させつつ、俳優の道を極めるのがベストだと分かっていたが、勉強は全く手につかず、なぜこれだけ頭で理解しているのにできないのか、自己嫌悪で思い悩み悶々する。高校三年生の10月になり、本当にやばいということを感じて、本気で動き出す。とりあえず手に取った神奈川大学の過去問を解いてみたらできたので、神奈川大学を目指すことにする。ギリギリ間に合うという直感を信じて受験勉強をする。1800英単語を覚え英文法と叩き込み、センターを捨てて、過去問をヤフオクで買いあさる怒涛の日々を過ごしたところ、なんとか神奈川大学に合格する。

■神奈川大学に入学するが大学生活に違和感

ギリギリ上京することに成功し、神奈川大学に入学し晴れて関東民となる。バトミントンサークルに入るが、大学生が後先考えずに遊ぶことを受け入れられず、大学一年の後期から自然消滅となる。自分は、俳優になる夢を追いかけて東京に来たので、飲み会などくだらない遊びにかける時間はなく、夢を叶えるためにその最短距離を行かなければならないと考る。大学生は三年間遊び、突然就活をして企業に入る愚かな人であると思う。

鉄道が好きなので駅員のアルバイトを始める。勤務時間が合わず一度退職するも、違う駅に移動になった助役とばったり再会したことをきっかけにわずか半年後に出戻り。勤務中、急病で倒れた人にヒーリングした瞬間に意識が戻るということを経験する。また、コンビニでの夜勤アルバイトも三年間続いている。

■自分が思い描いていたものとは違った芸能界

2014年9月から俳優として事務所に所属する。映画『信長協奏曲』、映画『きょうのキラ君』、 東京ゲームショーイベントムービー。不動産会社CM、ソフトバンクCMなどに出演するも、自分の思い描いていた「みんなが楽しく仕事をしている現場」はそこにはなく、「自分だけ目立とうとする俳優」であったり「余裕がなさ過ぎて怒号を飛ばすスタッフ」を目の当たりにし「果たしてこれで人を感動させる作品を作れるのか」と疑問を持つようになる。

■点と点が繋がりシータヒーリングの存在を知る

高校の時から指導を受けている先生のトレーニングを続けていく中で、自分自身と向き合うこと、恐れずに他人とつながることの重要性を強く認識するも、頭でわかって何とかなるものでもなく、努力しても何も変わらない自分に深く落ち込む日々が続く。コンスタンチン・セルゲーヴィチ・スタニスラフスキーの本を読んでいたら「お芝居はリラックスが大事。リラックスには太極拳がいい」と書いてあるのを見て、もしかしたら、エネルギー療法と繋がりがあるのではないかと思う。父が太極拳をしていたので、教えてもらおうかと思い尋ねると「それならばシーターヒーリングがいい」と、一冊の本を受け取る。

渡されたシータヒーリングの本に書いてあることを実際にやってみると確かに効果を実感し、試しに友人に試してみると潔癖症が治ってしまいこれはすさまじいテクニックだと思い知る。これを使って自分の思考パターンをクリアにして行き、願望実現したいと思うが、なかなか上手く行かない日々が続く。そのことを父に相談をしたところ「セミナーに参加して見たらどうだ」とアドバイスをもらい、シータヒーリングを本だけでなく、セミナーで学ぶことにする。

■大学を休学し様々なことにチャレンジする

2016年5月にシータヒーリングの基礎を学び、2016年9月から芸能活動に集中するために大学を休学する。事務所の移籍をすることにしたが、前の事務所との契約の関係で、2017年3月まで他の事務所との契約ができないことがわかる。急に時間ができてバイトをするしかなくなってしまって、せっかく時間ができたのだから、色々なことに挑戦してみようと考える。

作曲できるのではと思い適当にピアノを弾いていたら一晩で一曲仕上がったので、行けると思い、勢いでシンセサイザーとソフトウェアを購入し、作曲活動を始める。

もっとシータヒーリングを学んでみようと思い2016年10月にシータヒーリングの応用を学び、2016年12月から2017年1月にかけてアナトミーという15日間のセミナーを受ける。基礎セミナー以降毎日すごい数の自分の思考を書き換えしていたが、応用・アナトミーを受講して以降さらに加速する。そのおかげで現在は思い悩む日はほとんどなくなり、人見知りもなく広く深く交友関係が広がる。

■スキーので転倒し全治2ヶ月の要骨損傷

2017年3月6日ガーラ湯沢スキー場でスキーの初心者コースで突然転倒する。転倒直後から自己ヒーリングをして、なんとか新幹線で東京まで戻り、翌日福岡まで飛行機で移動する。福岡の病院に行き診察を受けると全治2ヶ月の腰骨圧迫骨折と診断され寝たきりの生活となる。病院で2週間の療養中は暇すぎてひたすら瞑想を続ける。その後、自宅で1週間療養し、横浜のアパートに戻る。

怪我する前から約束していた京都の同志社大学の友人と岡山で電車の撮影をする約束をしていたので、医師からは動いてはいけないと言われていたものの、単純に行きたかったので、京都で満開の桜を見て療養するといいということだとポジティブに勝手に解釈して行く。岡山での電車の撮影を終えた後に、京都の友人の家に12日間居候をする。

■自分の認識が変わり大学生の一生懸命さに感動

せっかくなので、友人が通っている同志社大学の政治の政策の授業を聴講してしてみるも、大学の授業はどこもつまらないものだと確信する。せっかくなので、友人が参加しているサークルの新歓コンパに紛れ込む。そこで自分があれほどくだらないと思っていた「後先考えずに一生懸命遊ぶこと」をすごく楽しんでいることに気づく。同志社の学生は純粋に楽しんでいる。それを見て「目の前のことに必死になることは、内容は関係なく素敵なことであり、今この瞬間を楽しもうと頑張っていることは美しいことである」と感じる。あれだけ嫌に思っていたことが、一年間の自己ヒーリングを経て真逆に感じているということに驚く。同志社でできた大学1年生の友人にはこれからの四年間、素敵な時間を大切に過ごして欲しいと思う。

今、毎日が楽しい。イメージしたことが現実に起きる。死んでしまいたいと思うことが完全になくなる。自分次第で世界は変わる。自分は「俺は俳優でやっていく」と決めて、大学に行かなくなった。「自分の人生には大学は関係ない」と思っていた。大学も俳優の仕事もどちらも楽しめるという選択があるのに、切り捨ててしまった。かつての自分のように自分で自分の可能性を狭めている人が多いと思う。一回きりの今回の人生を、最大限楽しんでほしいと思う。

■creative station mahoroba代表として活動を開始

自分と同じような悩みを持った人のためにできることがあるのではないかと考えて、2017年2月からヒーラーとしての活動を開始。俳優としては芸能界にこだわる必要はなく、人を感動させるもの、人にいい影響を与える作品作り世界に発信して行くことを目指す。趣味は、写真と旅行と電車と美味しいもの食べること。

僕の日々の物語はFacebookで綴っています。